57歳
Simple Lined Circle Shape
Arrow down Keyboard
Arrow down Keyboard

皆様のお陰で20年

大島村

商店

創業平成​17年

大島の塩

河辺健治~塩じぃへ

大島村  ここに生まれここで終わる。

昭和41年生徒会長を務めた宗像高校を卒業。​

海上保安庁に入庁、日本最北端網走にて勤務。​

巡視船船長を夢見たが能力の限界を知り断念。​

大島村に戻り漁師をしていたその時、厳しい試験を​突破し海外派遣青年の船でアジア各地を回る。そして​大島漁協に勤める美しい人(妻)と結婚。直後、漁船​が難破し大怪我をする。この経験で自分が漁師では家​族を守れぬと考え村役場に転職、約20年勤務。しか​し爪の色が変わるほどのストレスにより53歳で退職、​村議会議員へ。議員を4年勤めたのち大島村村長となる​。大島村商店を立ち上げ大島の塩を生みブランド化に​成功、塩じぃと成る。その間18年掛け学位を取得。​

現在、柳人としても活動中​


幕下りる までは私が 主役です

                河野清兵衛​


大島の塩 

人生グラフ

グラフに示す通り妻の病気は私の人​生の一大事!公務員を辞めたり肺癌​になったり村長になったり塩じぃに​なったり…。激動の人生を送れるのは​妻が居てくれるからこそ。

大島村が消えた日

大島村最後の村長、締め括りの仕事​は合併調印式。合併の際、沖ノ島の​住所に拘り「宗像市大島沖ノ島」の​決定に至る。神守る島と神宿る島の​関係を最も表していると自負。


大島村商店

創業平成17年、大島初の株式会社

(株)大島村として起業。さざなみ食堂​を妻と二人で営む。8年後大島村商店​として再出発、現在に至る。「村」を​残した思いは旧友たちに共感を得る

大島の塩 

大島の塩 

ラベルhistory

最初は手作り

作り始めは取引先の開拓

営業に回る日々。

当時の名前は大島天然塩

この頃の塩は少し色黒

プロに依頼

認知度も上ってきたころ

ラベルを発注。

塩に掛ける想いが詰まった​ラベルとなった

リニューアル

イメージカラーを使い

デザインを一新。

海水を汲み上げた時の月を​表現

🌕🌙

インバウンドも意識​

大島の塩 

塩作りの風景

伐採

塩炊き

仕上げ

塩作りは薪作り

燃料の薪になる木の伐採が一番の力仕事

軽トラにいっぱいの薪も2日で終わる

ガスも電気も島価格。

そもそも工房には水道さえ無い。

離島だからこそ知恵が必要

薪を使って塩を炊く

木の種類で燃え方が違い、勢いよく​炊くとき、優しく炊くときそれぞれ​に適した木を選別し火加減を調節。

この火加減こそが

大島の塩は美味しいと料理人達を

唸らせる最大の特徴!

仕上がった塩にはピラミッド型の結​晶が無数に現れる。

この結晶こそが旨味の証拠。

結晶を見た事無い方是非工房へ手伝​いに来てください。タイミングが合​えば結晶をご覧頂けます。

大島の塩 

大島村への想い

後継者探し

後継者は島に住まないとダメですか?と聞かれる。​薪作りには島の協力が絶対不可欠。

神守る島の神事は受け継いで行かねばならない。

だから島に住むことが基本、必須である。

塩を大島の産業に

学校の先生も郵便局職員も、そして今では漁師さえ​船で通って来る。超高齢化、日本の縮図が今の大​島。塩を大島の産業に育てたいと考える後継者が表​れる事を願う

8か年計画

80歳までに成し遂げる目標を掲げた8か年計画。​その時目標目安の柿も植えた。この柿の木が実を付​ける年、私の計画も実るようこれからも邁進する

大島村商店

大島の塩 

〒811-3701福岡県宗像市大島951-1

大島の塩お取引先様(順不同)

2025/01現在

・鮨屋台・築地岩鮨・磯LABO・上弦の月・島屋

・Lien・とん万・お日様唐揚げ・フクツリー

・ふどうの樹麦のキッチン・月うさぎ・ゆきや

・玄海旅館・ホテル日航     

                他多数

お問合せはこちら

©まぁちゃん